「アナと雪の女王はこう終わるべきだった!」 How Frozen Should Have Ended 和訳

アナと雪の女王に関するすこし面白い動画を見つけたので記事を書きます。

アナと雪の女王にはこういう結末がありえたはずだ! あの映画はおかしい!といったものです。

 


How Frozen Should Have Ended - Reissued - YouTube

 

以下この動画の和訳です。

(冒頭の歌、オリジナルでエルサが愛の力で氷を溶かしていくところのパロディ)「ヘ~イヘイヘイヤ ヘヘヘ~♪ この曲の雰囲気ぜんぜん合ってないよね♪ ライオンキングでも観てるみたいな感じになるよね~♪」 

トロル「これでこの子は大丈夫じゃ…」

エルサ「でも私が魔法をつかえたことを忘れちゃうの?」

父「それがいちばんなんだよ…」

トロル「よくお聞き、エルサ。きみの魔法の力は大きくなる一方だ。

そこには美しさがあるが…同時に大きな危険もあるのだ。

きみはこの力をコントロールできるようにならなくてはならぬ。

恐怖がきみの敵となるだろう」

父「えーっと…つまり僕らはこの子が人のそばにいて安全になるまで一人でお城に閉じ込めておくべきってことですね?」

トロル「何? そんなこと言っておらん 恐ろしい考えだ!」

父「えーっと…じゃあぼくらはこの子がこの子が自分自身を恐れるように教育すればいいんですね?」

トロル「そもそも話を聞いていたのか? わしは、恐怖が、敵だと言ったんだぞ?」

母「えーっと…じゃあこの子が自由にコンプレックスを抱くようになるまで、感情をぜんぶ縛りつけるように教育すればいいんですね? それでこの子がこんな魔法を全部乗り越えられるかどうか待ってみるとか?」

トロル「おぉマジかよあんたらダメな親だな ちがう、わしはそんなことしろなんて全然言っておらん」

父「えーっと…じゃあ…」

トロル「「えーっと」と言うのをやめろ! 口を開くたびにズレたことを言いおって!」

母「隠し通せ、何も感じるな?(コンシール、ドントフィール?)」

トロル「ああもうなんてこった! 答えは「愛」だよ! わかったか??

愛が心を溶かす 真の愛が癒しをもたらす」

父母「………(沈黙)」

トロル「…わかった もう…ついて来い わしが助けになる場所に連れて行ってやる」

 

X-MEN』のプロフェッサーX「やあエルサ 私の名前はチャールズ・エグゼビア 私の学校にようこそ ここは才能に恵まれた若者たちのものだよ」

(おそらく『Xメン』からのパロディ的なスタッフロールの挿入)

キャプション「数年後…」

ミュータントたちとエルサ「(楽しそうに)let it go~♪(...)Here I am~♪」

ウルヴァリン「(一瞬不快そうな顔を見せるがじきノリノリで歌い継いで)

Here I am~ And my claws are gray~♪(そして俺の爪は灰色~) (ストームという名のミュータントを抱き寄せて)This girl's name is Storm~♪(この子の名前はストーム♪)」

ウルヴァリン、乗り気でなさそうな氷のミュータントに歌い継ぎを要求する)

氷のミュータント「当然ながら氷は気にならない(Obviously ice doesn't bother me.)」

アナ・オラフ「イェーイ!」

 

 

ラストの替え歌、

And my claws are gray はオリジナル歌詞の In the light of day からで、最後の ay の音が共通、

This girl's name is Storm は Let the stom rage on から、

Obviously ice doesn't bother me は The cold never bothered me anyway (寒さも気にならないわ)から、

となっています。

 

アナと雪の女王』を観ると、この両親のまぬけさにはけっこう呆れてしまいます。

歌のテンションに任されたままあっさりかわいそうなことに死んでしまうので、両親の害悪さにはあまり注意が行かないようになってはいるのですが。

そもそも、このパロディでは母親がすこしセリフを発しますが、オリジナルの映画では母親にセリフはほとんどありません。

封建的な古い家族を象徴するように、父親にしか発言権がないのです。

 

『XーMEN』のキャラクターが登場するのも、唐突で笑いましたが、真っ当だと言えるのではないでしょうか。

自分もはじめて『アナと雪の女王』をみて(すこし特殊な観方だったかもしれませんが)すぐ、X-MENのことを思い出しました(X-MENのことをさほど好きではないにもかかわらず)。

X-MEN』もまた、ミュータントという、特殊なものを持って生まれてしまったマイノリティが、自分の力や、周りからの迫害に悩んだりするというもののでした。

いつだったかぼうっとテレビで『X-MEN』の映画の放映を観ていると、とつぜん印象的なシーンに出くわしました。

ある箇所で、自分がミュータントだとまだ親に言うことができていないある少年ミュータントの家に、先輩のミュータントたちがいっしょについてゆき、彼の親に「この子はミュータントです」と言いにゆく、という場面がありました。

親はショックを受け、たしか「お前のせいじゃないか」「あなたの教育が悪かったのではないか」「おまえの血筋が悪かったのではないか」といったような言い合いをします。

たしか映画版『X-MEN』はスタッフや役者の多くが同性愛者であり、このシーンは、(そういう意識がある人が観れば、)エルサがLet it goを初めて歌うシーンと同様に、明らかにカムアウトの場面を意識したものです。

親にしづらい「自分がゲイ」だというカムアウトに、先輩たちが付き添うのですが、親は理解が足りず、同性愛を病気のようにとらえ、教育が悪かったせいだ、とか、遺伝的な病気だ、といったふうに子供の前でいいさえしてしまう、というわけです。

 

アナと雪の女王』が同性愛を描いた映画だと言うことを書くかもしれぬ、と予言しておいてずっと書いていないのですが、これはべつに個人の批評力とかがいるものではなく、観る人が観ればおそらくみんながみんな同じ箇所から同じ解釈を導き出すようなものなので、たぶんすでに海外などにはたくさん記事があるのだろうな、日本にもあるだろうな…とおもうと、すこし自分で書くのが億劫です。。。すみません。。。