『少年ジャンプ』論集のご紹介、通販フォーム・直売続報

ご無沙汰しております。

先日、ジャンプ jBOOKSの暗殺教室 殺たん』(シリーズ最新刊『殺たん D』が発売されたばかりですね!)の英語監修も務める阿部幸大を中心に、

東大英文科大学院生の有志6名により、『少年ジャンプ』の漫画論集を発行いたしました(足立は、概論、『ヒカルの碁』論、『ワールドトリガー論の3本を寄せております)

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(▲『ジャンプ VS 東大生』定価700円)

詳しい内容の紹介は下で行いますが、

ありがたいことにご好評をいただいておりますため、この度増刷をいたしまして、追加で販売を行うことにいたしました。

 

①直売(定価700円)の予定としては、11月23日の文フリ、11月24~26日の駒場祭となっておりますが、

 

通販フォーム(送料360円)で、お手軽にご注文もいただけます。

『少年ジャンプVS東大生!?』注文フォーム -

 (▲ご登録頂いたメールアドレスに簡単な詳細が届きます。)

 

ご来場、ご注文をお待ちしております。

 

それでは以下が内容の紹介です――。

 

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https://drive.google.com/file/d/0B3QHnU6_W78XbEc0VlFQY3d2ZEE/view

(▲阿部による巻頭言を公開しております)

上巻頭言にもありますが、それぞれの論の内容は以下のようなものとなっております。

 

1.足立伊織「ぼくたちの成長・Ⅰ ――少年漫画の「少年」とその時間性」

 本論は総論ということで論集全体の序文的な位置づけになっており、少年マンガ少年マンガたるゆえんを、『マガジン』『サンデー』『ジャンプ』三誌を比較しつつ、成長、時間、父・母、あるいは戦後日本といったキーワードを使って論じている。

 作品論でないぶん抽象的な内容ではあるが、ほかの七本すべての文章に通底する問題を扱っており、理論的な予備知識を提供してくれる。お目当ての作品論を一本読まれたら、つづいて本論に進まれることをお薦めしたい。『マガジン』と父、『サンデー』と母、そして『ジャンプ』と孤児という整理の明快さは圧巻である。

 

2.足立伊織「ぼくたちの成長・Ⅱ

  ――『ヒカルの碁』におけるタイムリミットと千年の時へのリアリズム」

 足立の二本目は『ヒカルの碁』において無限に成長してゆくヒカルの存在とは対照的に佐為の成仏という有限の時間が描きこまれている点に着目し、巻を追うごとにリアリズムの度合いを増しつつ群像劇化(=複数のキャラが主人公的に描かれる)してゆくことを論じている。

 本論の独創性は、このリアリズムの高まりを視線や視点という観点から捉えなおし、そこから『ヒカル』の群像劇化の必然を論じているところにあるだろう。このコマは誰が見ている視点なのか? という素朴な疑問に誠実に向きあうことで足立は『ヒカル』が感動的である理由を熱っぽく説きあかしており、その姿勢じたいが感動的である。

 

3.宮嶋範「少年を逆刃にこめて――『るろうに剣心』論」

  寄稿者のうち最年少の宮嶋は、おそらく全論考中で最年長の主人公を擁する『るろうに剣心』を扱う。むろん歳を重ねれば重ねるほど「少年」は不可能になってゆくわけだが、宮嶋はこの問題を、『るろうに』というマンガが避けがたく内包し、かつ乗り越えようとする葛藤であると論じている。

 相対的に見ると宮嶋はいくぶん他の寄稿者と手つきが異質で、これは第一に作家論としての側面が強いためであり、第二に内容・文体の両面において非常にリーダブルなためだろう。本稿は『るろうに』をなんとなく知っているだけの読者でも楽しく読むことができる。

 

4.岡野智己「「父」から(友情を経由して)「母たち」へ

  ――『HUNTER✕HUNTER』におけるゴンのグロテスクな成長」

 岡野は『ハンター』においてゴンが父を追う成長物語が放棄され、そこでキルアの友情と母性という主題が現れるとして、さらに、あの「ゴンさん」の場面を、抑圧された「成長」のグロテスクな回帰として読みといた。これは典型と異端のあいだを一足飛びに往復する『ハンター』のあやうい魅力の一端を記述しえていると同時に、悟空的天才/ベジータ的秀才という『ジャンプ』に繰りかえし現れるペアの考察にも参考になるだろう。

 

5.吉岡求「少年と少女に捧げる涙――自己批評としての『ジョジョリオン』」

 吉岡は『ジョジョリオン』が過去の「ジョジョ」作品における少年の扱いに対する自己批評の作品であると論じる。性的要素を抑圧してきた従来の「ジョジョ」に対して、この第八部は、性や恋愛という非・少年的=青年的な段階へ進んでいるという。

 この議論の批評的価値は、吉岡がこの変化を「自己批評」と呼んでいる意味にかかっている。つまり、敵を倒して無限に友人を拡大してゆく少年マンガの構造は、聖母の存在に象徴されるように女性から性を剥奪することを暗黙の了解とする差別的なイデオロギーに支えられているのであり、『ジョジョリオン』はそれを、とりわけ広瀬という少女の導入をつうじて内的に批判しえているのである。吉岡の論点は母に集中しているが、これは少年マンガにおける少女の存在を考えるうえでも示唆的である。

 

6.今関裕太「『鬼滅の刃』と紙の表面」

 今関は『鬼滅の刃』の切り絵のような平面的な画に着目し、このマンガにおける透視図法の放棄=山水画的な空間構成の採用が『ジャンプ』的なバトルのありかたへの決別であることを、とくに『ドラゴンボール』の戦闘シーンとの対比において豊富な図版とともに論じている。

 今関の論考は、美学的な特徴(紙っぽさ)をバトルの要素として定位した点においてジャンル論として価値があるだけでなく、それを善悪二元論の解体という内容的主題と結びついた必然として提示することに成功している点において、作品論としても読みごたえがある。文学研究よりも美学研究に寄った論考だと言えるだろう。

 

7.阿部幸大「『僕のヒーローアカデミア』が描くグローバル時代の日本とアメリカ」

 阿部は『僕のヒーローアカデミア』が日本を舞台にしつつアメリカのヒーローが活躍するマンガであるという事実に着目し、世界のグローバル化に応答しつつ核表象やアメリカや身体といったすぐれて日本マンガ的なトピックに誠実に向きあった作品として『アカデミア』を論じている。

 特筆すべきは阿部が連載中の『アカデミア』の課題を、トランプ政権の成立といった現代の時事的な問題へと接続している点である。本論はマンガから社会を、世界を考えるためのひとつのヒントになるだろう。

 

8.足立伊織「ぼくたちの成長・Ⅲ

  ――『ワールドトリガー』における記号的身体の断面」

 『ワールドトリガー』論である足立の三本目は、もちろん足立の既出の二本とも密接に繋がっているのだが、グローバリズムとアメリカ、戦争と世代、『GANTZ』と身体など、テーマ的にはむしろ阿部の『アカデミア』論ともっとも近い内容となっており、二本はたがいに補完的な――いやバトル的な関係にあると言える。

 本論は現代世界についての理論的な話題で開始されているので、とっつきにくいと思う読者がいるかもしれない。しかし話題の中心は、もちろんと言うべきか、『トリガー』ファンならば誰もがその魅力を知っている多対多のバトルの分析である。足立は『ヒカル』論で扱った群像劇の問題をここでも見出し、スパスパと切断される身体描写とこれを接続して『トリガー』の革新性を鋭く剔抉している。

 

9.座談会「討論・天下一武道会は存在するのか?」

 さいごに、オマケ企画として執筆者全員による座談会を収録した。執筆者それぞれの『ジャンプ』との出会いにはじまって、『ジャンプ』(論)史、エロ要素の扱われかた、「少年」マンガ消費における性差、本論に含められなかった面白いポイント、そして本論集の第二弾の構想、などなどが話しあわれている。したがって、これを読めばわれわれの想像力の限界がなんとなく見えるであろう。これに不満を持つひとがいれば、ぜひ第二弾でわれわれの天下一武道会に参戦していただきたい。

 ちなみに天下一武道会の存否についてはまったく話しあわれていない。スイマセン。

 

以上となります。それでは会場へのお越し、ご注文をお待ちしております(足立と直接会う機会があるかたは前もって言っていただければもちろん持ってゆきます)。