ウラジーミル・ナボコフ「記号と象徴」と意味の牢獄

 アメリカのポストモダン文学を論じるサンプルになるかなあとたまに後輩に読んでもらったりするので、いちおう…。これも学部のときの小文。

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写真、幽霊、文章

たまにはフランスの小説を論じたものシリーズ②、ということで、ぴかぴかの大学1年生のときに書いた恥ずかしいものが残っていたのを…笑

1年生のころはまだフランス文学やフランスの批評からの影響がとても強くって、「写真、幽霊、文章」という、フランス系の批評っぽい3つの単語を並べるタイプのタイトルを付けているところからもそれがうかがえるわけですけれど、「エクリチュール」と書くのはさすがに恥ずかしくって「文章」と書いているところが、うぶでかわいいとおもう…笑

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ルイ=フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』の語りにおける省略と分裂症的持続

 たまにはフランスの文学を論じたものも。

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アメリカ的なイメージへの視線 : コラージュ作家ドナルド・バーセルミの初期短編を読む

もう2年ちょっと前に柴田先生の退官記念論集に載せた論文がUTレポジトリに入っていました。

UTokyo Repository: アメリカ的なイメージへの視線 : コラージュ作家ドナルド・バーセルミの初期短編を読む

 

pdf、学外のひとでも見れるのかしら…?

卒論の中盤の一部を日本語で一般向けにかきなおしたようなものになっています。

そのうちバーセルミの研究史をまとめたものもUTレポジトリに入るようです。

この春のうちに、幽霊表象論と、Phil Klayの小説、Redeploymentを論じた論文も出すつもりで、幽霊論のほうはとくに自分でも許せるレベルにけっこういいとおもうので、いつかお披露目できるといいなあと思います。

ゾンビ――体の終わりを考えるためのフレームワーク

 去年の夏ごろに、文学における幽霊の表象の歴史といったものを考えていた(これは論文にするつもりです!!)とき以来、

 人間の表象が明白に壊れていることが露呈される瞬間というのに興味が流れてゆき、

 現代であれば、まずおそらくもっとも時代精神を反映しているのは、文学よりも映画や漫画などのサブカルチャーであり、

 そしてそのとき中心になるのは「幽霊」よりも「ゾンビ」だろうな、という見立てを立てたのでした。

 そこはまあめちゃくちゃフクザツな話なのですが、しかし実際調べていくと、英米圏でもわたしと同様にゾンビに目を付けた論者たちが、2010年前後にゾンビに関する大量の論文や論集を出していて、とりあえずは間違いないのだろうなと思います。

 

 以下のものは、それでしばらくゾンビについて考えていると、某雑誌の編集をやっている友人から、とつぜん「こんどうちの『ヘルス特集』の中で、ゾンビのことを書いてもらうことにしました!」と指示されて書いたものです。

 しかし原稿を出すと、「これ、やっぱり、こんど『化け物特集』やるんで、そっちに回したいです」とか言われてしまって、ヘルス特集には載らなくなったのでした。笑

 ヘルスとゾンビ、タイトルも「体の終わりを考えるフレームワーク」、吸血鬼と比較しろ、1500字程度に収めろ、とあれこれのムチャな指示の上で書いたものなので、おそらく『化け物特集』では別に書きなおすので、公開してしまいます。▼下の「続きを読む」から。

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