KAT-TUNとHey! Say! JUMPの美学とその時代――「崇高」と「美」か、ふたつの「崇高」か?
先日、『好きか嫌いか言う時間』というTBSの番組に、わたしがジャニーズの話をするVTRを流すので、スタジオでそれにコメントをしてくれ、と言われて出てきたのですが、
わたしが話のキモだと思っていた箇所は編集でカットになっていて笑、さらに、スタジオでは話の内容ではなく、「おまえ、話し方キモすぎね?!」といった、司会のかたたちからのコメントに応対するのに必死だった(笑)ために、いちおう以下に話の全貌を書いておきます…(けっこうおもしろい話だとおもうんですよね…)。
念のために言っておきますが、これはKAT-TUNとHey! Say! JUMPのどちらがいいという話ではなく、あるいは古いものはダメとかいうことでも当然なく(初期のKAT-TUNがよく今のKAT-TUNはダメとかいうことでももちろんなく)、どちらにも違う良さがあって、その良さの違いはいったいなんなのか、という話です(先日のKAT-TUNとHey! Say! JUMPの合コンとか最高でした)。またあくまでも全体的な傾向としての話(つまり極論)であり、またある特殊な切り口からでの話でしかない(①実際にはグループ自体を比較しているのではなく、グループの見せ方、演出を比較している、②社会の動きについて考えているために、おおむね「どのように売れているか」といった話になるが、もちろん、売れるもの=いいもの、などということもない)ということもお断りしておきます。
セクゾンに関しては現状セクチャンやsexy寺修行、俺たちの湯けむりSexyバスツアーといったものを見てヘラヘラしているばかりで頭が回りませんが、この論には収まらない気がします。
(※追記 意外と閲覧があってけっこうビビっています…。自分では勇気がなくて実際に放送されたものを観ていないのですが、ファンの方の気分を害してしまっておりましたら申し訳ありません…。もともと飲み会での与太話だった(なので自分ではこれでも笑いを意識しています…)ものにバラエティのノリで作った話なので話半分に読んでください…。面白いと思ってくだされば幸いです。)
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ルイ=フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』の語りにおける省略と分裂症的持続
たまにはフランスの文学を論じたものも。
続きを読むアメリカ的なイメージへの視線 : コラージュ作家ドナルド・バーセルミの初期短編を読む
もう2年ちょっと前に柴田先生の退官記念論集に載せた論文がUTレポジトリに入っていました。
UTokyo Repository: アメリカ的なイメージへの視線 : コラージュ作家ドナルド・バーセルミの初期短編を読む
pdf、学外のひとでも見れるのかしら…?
卒論の中盤の一部を日本語で一般向けにかきなおしたようなものになっています。
そのうちバーセルミの研究史をまとめたものもUTレポジトリに入るようです。
この春のうちに、幽霊表象論と、Phil Klayの小説、Redeploymentを論じた論文も出すつもりで、幽霊論のほうはとくに自分でも許せるレベルにけっこういいとおもうので、いつかお披露目できるといいなあと思います。
ゾンビ――体の終わりを考えるためのフレームワーク
続きを読む去年の夏ごろに、文学における幽霊の表象の歴史といったものを考えていた(これは論文にするつもりです!!)とき以来、
人間の表象が明白に壊れていることが露呈される瞬間というのに興味が流れてゆき、
現代であれば、まずおそらくもっとも時代精神を反映しているのは、文学よりも映画や漫画などのサブカルチャーであり、
そしてそのとき中心になるのは「幽霊」よりも「ゾンビ」だろうな、という見立てを立てたのでした。
そこはまあめちゃくちゃフクザツな話なのですが、しかし実際調べていくと、英米圏でもわたしと同様にゾンビに目を付けた論者たちが、2010年前後にゾンビに関する大量の論文や論集を出していて、とりあえずは間違いないのだろうなと思います。
以下のものは、それでしばらくゾンビについて考えていると、某雑誌の編集をやっている友人から、とつぜん「こんどうちの『ヘルス特集』の中で、ゾンビのことを書いてもらうことにしました!」と指示されて書いたものです。
しかし原稿を出すと、「これ、やっぱり、こんど『化け物特集』やるんで、そっちに回したいです」とか言われてしまって、ヘルス特集には載らなくなったのでした。笑
ヘルスとゾンビ、タイトルも「体の終わりを考えるフレームワーク」、吸血鬼と比較しろ、1500字程度に収めろ、とあれこれのムチャな指示の上で書いたものなので、おそらく『化け物特集』では別に書きなおすので、公開してしまいます。▼下の「続きを読む」から。