写真、幽霊、文章

たまにはフランスの小説を論じたものシリーズ②、ということで、ぴかぴかの大学1年生のときに書いた恥ずかしいものが残っていたのを…笑

1年生のころはまだフランス文学やフランスの批評からの影響がとても強くって、「写真、幽霊、文章」という、フランス系の批評っぽい3つの単語を並べるタイプのタイトルを付けているところからもそれがうかがえるわけですけれど、「エクリチュール」と書くのはさすがに恥ずかしくって「文章」と書いているところが、うぶでかわいいとおもう…笑

 「写真、幽霊、文章」

 

本稿のテーマは、写真と文章の関わり方である。その際考察の対象にするのはフランス語で書かれた二編、『ナジャ』(アンドレ・ブルトン)、『明るい部屋』(ロラン・バルト)、それからフランス語の文学ではないがゼーバルトの『アウステルリッツ』である。

 その際、まずこれらの書物がみな小説とも胸を張っては言いがたく、またしかしエッセイやルポタージュ、歴史書、建築論などとも当然言いがたいものになっていることに注目し、それを写真との関わりにおいて考えたい。そこにおいて見えてくるそれぞれの書物が写真に対してとる態度(それを本稿では幽霊的と呼ぶ)を考えてゆく。

 

 まずはロラン・バルトの『明るい部屋』から始めたい。この本は大きく二章に分かれており、前章では写真自体の(つまり、「写真の様式」など写真につく形容、他ジャンルからの借り物であるカテゴライズ、などでなく、写真というものがそれ自体で持っている)内在的特性を論じようという試みが展開される。

 その試みは、写真は指示形容詞的なものである、と論じられることから始まる。写真は純粋にものを指し示すものであり、またそのあり方としては、写真という指示するものと、図像上の指示されるものが完全に一致していることが挙げられる。そして、指示自体はけっして意味を引き受けられるものではない。「意味」を引き受けるのは「指示形容詞的」な写真ではなくそれについて語る「文章」であるが、この「文章」は写真に付与される外在的説明である。よって「写真」の内在的価値自体に関してこのような仕方ではなにも言うことができない。

 また、写真は人のある瞬間を切り取るものである、ともされる。ここから写真は本質的に死と結びついたものであるという点も指摘される。純粋な指示形容詞は連続から一点を切り離し、運動を静止させる。

 そうして彼は「ストゥディウム」と「プンクトゥム」という区別をはかる。「ストッディウム」は、写真がコノテーションによって持つ、というか、持たされる意味である。それはある文脈や写真家、受け手の意図によって文章化されたものである。写真の指示対象をある文脈の中の必然として展開したものだといってもよい.一方で、「プンクトゥム」はそれとは違い、写真の「指示」性に本質的に関わる偶有性が逆に力を持っているようなものである.写真は「これ」として指示することしかできない。そこにおいて、どうしようもなく写ってしまう出来事として、観察者を突き刺すものが「プンクトゥム」とされているものである。それはプルースト的記号として無意思的記憶を導くこともあるような、強度的な体験である。バルトはこの体験を俳句に例え、俳句は修辞的拡大や展開を許さない、「激しい不動の状態」を写真と同じく実現するものであるとするのだ。

 しかしこうして論じてきて、彼は写真自体を「普遍的」に考えることがやはりできていない、と思ことになる。「プンクトゥム」は「普遍」に決して回収し得ない特異、といったありかたで定義されているためだ。こうして彼は後章へと移る際、別のありかたをとりはじめる。

 後章はきわめて小説的といってよいようなつくりになっている。そこでバルトは、母の死とその悼みという一種のプロットを導入する。そこにおいて写真論に加えられるのは、写真に関する時間的なものである。写真は、必ず常に撮られた指示対象よりあとに存在する。しかし、写真は指示対象と同一化したものであるため、その指示は「かつて、これがあった」という形になる。これは先に述べた写真撮影自体が持つ死の力と合わさり、決定的に強いものとなる。写真は「これは、既に死んでおり、さらにこれから死のうとしている」というあり方で、人に作用する。その作用の仕方はプンクトゥム的であるだろう。

 バルトは、母親を悼むということ、つまり、「母親が死んだ」ことを「現在において受け止めること」を追い求める。そしてそこにおいて彼をプンクトゥム的に襲う写真に出くわし、その周りを巡って文章を書き続ける。彼はいわばその写真に憑かれているといってよいだろう。写真は生きた(=現在的な)あり方で死を提示してくる、幽霊的なものである。ここで母に憑かれるようにして文章を書くことと、母の「写真」に憑かれて文章を書くことはかなりパラレルといってよい。この本の2部構成の原因はここにこそあるのではないか。

 

 ゼーバルトの『アウステルリッツ』に至っては、そこらじゅうに死の写真がある。これはナチスによるユダヤ虐殺の歴史を封印するようにして生きてきた男が、諸々の出会いによりその歴史に襲われてゆく、といった話である。話の導入部分とその他の部分には20年の隔たりがあり、語り手に対し主人公のアウステルリッツがひたすらその20年間のことを語り続ける、という体裁になっている。

 初めて語り手と会ったときのアウステルリッツは膨大な博識を持ち、巨大な著作を夢見て十九世紀までの建築物に関してメモをとり続ける=文章を読み書き続ける男である。そこに大量の建築物の写真と設計図が挿入され、アウステルリッツは過去の要塞について、過剰な恐れと「理性」の過剰な偏重により、どんどん付け加えられ繁殖していった無意味なものであり、かつ人に当然やってくる崩壊の恐怖を与えるものである、と論じる。

 上でバルトは、いってしまえば写真をある意味に満ちた文脈におく、といったようなことを、コード化と呼んでいる。ここでアウステルリッツが語る建築の意思とはまさにこのコード化への際限ない意思である。バルトは本の末尾において、突き刺すようなプンクトゥムか、分別によって飼いならされたイメージであるストゥディウムか、と論じたが、たとえばこの冒頭の時期において、主人公アウステルリッツは、突き刺すような、彼に取り憑くようなユダヤ虐殺の記憶(じじつ、彼は小説ラストでそこにおいて死んだ自分の母を追い求めたことについて語る.バルトの後章との響きあいが感じられる)を押し込めるように、19世紀までの安穏なコードの世界にまみれているのだ。彼は文献から文献へ、注釈から注釈へと飛び、執筆のための巨大なメモは増殖し、結果その執筆は不可能となり、かれはそこにおいて自分の欺瞞的態度に思い当たるのだが、それはまさに細部が過度の戦術的理論により増殖し続ける巨大要塞建築に対応する事柄であろう。

 さて彼が欺瞞的とさきにとりあえず呼んだ態度に気づき、変わって追い求めるものは「私」である。そしてまたそれは「私の過去」であり、そこから母や父の死と言ったところへ話が飛んでゆく。この本におさめられている写真は、おそらく小説内で主人公が語り手に示した、ないし残した写真や図版であるのだろうが、物語はこれに常に刺激されるようにして展開する。アウステルリッツの旅は、さまざまな写真(に付け加えるなら、墓的なもの=写真と同じく過去への指示も多いが、どのみちそれも小説上では写真で示される)を見て、それがまずはなにも彼のうちに意味を呼び起こさないが、その指示的力に取り憑かれるようにして「そうであった!」と思い出し続ける旅に等しい。これは上でバルトがプンクトゥム的なものとして挙げた、プルースト的無意思的記憶(に近いもの)、であろう。

ここにおいて、求められているものは「死んだ母」でもあるが、それと全く同時に、「そういった歴史を含んだ私」である。自己を求める試みは、必然的に歴史、死んだ過去を求める試みとなる。そこにおいて自己を求める旅と死者を悼む、死者に憑かれる旅はひとしい。言うなれば、自己もまた本来的に幽霊的なものとしてしか存在しない。その上に建築的なものを積み重ねて過去を飼いならそうとする試みは崩壊し、自己と他者の幽霊同士の相互貫入による「歴史」が指示の力によりあらわれる。この本の表紙はアウステルリッツの幼年時代の写真となっており、語り手はアウステルリッツに憑かれているといってもよい。

 

 さらにここにおいてもう一つ別の問題が現れることに注意しよう.小説内の語り手にとって、アウステルリッツは実在の人物であり、写真はアウステルリッツを撮ったものである。一方で、例えば作者ゼーバルトにとって、また読者我々にとって、当然ながらこの写真がアウステルリッツを撮ったものであるということは自明ではない。写真は、純粋な指示であり、外部にそのような「意味」を形成する保証を内部に持たない。しかしそこから逆説的に、その非人称的な純粋指示という幽霊に憑かれ、小説の作者はそうであったかもしれない「偽」「歴史」を語らねばならないだろう。また読者はそれを受け止める必然性を感じるだろう(リチャード・パワーズの『舞踏会へ向かう三人の農夫』などとこの点では類比的に考えることができるように思われる)。意味は決して写真自体には届かないが、写真が常に指示対象自体に対して遅れてあらわれ、しかし同時に指示対象と同一的であるということにより幽霊的な「取り憑く力」を持つ限り、取り憑かれたものは新たな「そうであったかもしれない」という別の意味でまた幽霊的な嘘歴史を語らねばならない。しかもその嘘歴史への強制はその個人が取り憑かれるようにして自己や過去、真実といったものの「真歴史」を求めろとプンクトゥムに促されるようなあり方をとるのである。

 

 事態は非常に錯綜したことになってきたが、ブルトンの『ナジャ』を論じる場はむしろようやく少し出来上がってきたかもしれないと言ったところである。

 「ナジャ」においても主人公は「私とは誰か」を求めている.そして、ブルトンの作家思想的に、この「私」は「本当の」ブルトン以外であってはならない。一方で、ブルトンはこの小説の始まりを告げる「私とは誰か」を「suis」の意図的な多義性(この端的な言葉に複数の意味が重なりあって宿ってしまうこと自体が幽霊的なものであるが)を利用し、「私は誰とつきあっているのか」「私は幽霊である」といった話へと広げてゆく。

 私が誰とつきあっているのか、という問いに対しての答えは、当然この小説ではナジャだ、ということになろう。それは二章において彼女と日々を過ごす箇所においてもそうであるし、また彼女が精神病院に収容されてしまってからでも彼女の幽霊に憑きまとわれるように怒りを表明するという箇所においてもそうである。私はナジャと響きあいこのナジャに関する現実をありのままに写そうとする文章を書くのだが、それは同時に以上見てきたような理由で、またブルトン自身が冒頭で宣言しているようなありかたで、私とナジャがその幽霊的存在法において相互貫入的に存在した、その存在を描こうというものでもある。

 本稿の狙いはじつは、ブルトンが写真を使う理由を、それは不完全な描写に対し完全なものであるためだ、というように自身で明示するのに対し、しかしそれだけには限らないだろうということを示そうということにあった。ブルトンが非常に早く文章を書くことで脳から手を切り離すようにシュルレアリスムを達成しようとしたことと写真の瞬間性を結びつける論などの可能性もベンヤミン以下によって示されているが、ここで着目したいのは写真の、そして文章を書くということ自体の、また自己や他者の、三位一体的な「幽霊」としてのあり方である。本稿の文章が申し訳ないことにあまりにまずくないとすればすでにそのおおまかなあり方は示せたようにおもう。

 ここでもう一度ナジャに目を向けよう.ナジャにおいてもやはり建築物の写真が非常に多いのだが、これは当然『アウステルリッツ』に挿入されていた建築物の写真とは別物としてみねばならない。ナジャにおいての建築物の写真は、「主人公とナジャが実際に文章内で行っている行動の場の簡潔な描写」として与えられるものであり、本来的な狙いとしてはあの幽霊的な力を利用するものではないのだ、ということがブルトン自身により述べられているように思う。しかし、そのような方法で書かれたとされる本自体はそれを裏切るようだ。なぜなら、まず当然ながら描写とされる写真には、ナジャも主人公も写ってなどいない。しかし「これです、ここにいたのです」とまさに指示的に与えられることで、そこに、我々が、かつて、いたのだ、というように、まさに見えない幽霊が写真と文章のあいだに生まれる。写真は後になって撮られたものであり、それは必然的に完璧な描写とならない。ブルトンにより予言者的に扱われているナジャは、文章中で、いつか私は薄れるのだし、あなたはそれを書いて残そうとするだろう、と薄れ(幽霊化にもつながる)からの書き始めについてまさに予言しているではないか。

 第2章のラストの絶唱は、「誰かいるのか?」「あの世が、あの世のすべてがこの人生の中にあるというのは本当か?」「これは、私自身なのか?」というものであるが、これもそのまま「写真的な、幽霊をただ指示的に取り憑かせる力」、「幽霊(的な文章、記憶、歴史)と私(の現実)の相互貫入」「幽霊としての私」のあらわれに対応するものであろう。

 幽霊はどうしようもなくやってくる。幽霊とはそもそも私が他者(端的に存在する物)との関係において存在する限りにおける必然的な存在方法なのだ。幽霊は、そして嘘歴史、あるいはフィクションは、真実を限りなく求める(たとえばブルトンのように)ときにのみどうしようもなく現れ取り憑く肯定的なものだ(もし真実を求めないのであれば、単にバルト的には飼い慣らされた嘘っぽいイメージが作られ、ゼーバルト的には無意味で崩壊が運命づけられている巨大建築が建てられるのみだろう)。幽霊はただ在る物(被写体、写真、言葉として現れる文章)とそれに憑かれて構成される半主体が求める意味(悼むべき母、求められる不在の私、意味としてあるべき文章)の間にのみ存在する。写真のプンクトゥムのもつ「激しい不動の状態」とシュルレアリストたちの「痙攣的な美」の「痙攣」は同じものであり得るだろう。